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あの時フードデリバリーがあったなら、親友を失わずにすんだのかな

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Photo:館山市観光協会

これはじぇいぴーの思い出話。

大学も卒業が近づいた頃、俺は地元の親友村上(仮称)とコンビを組んで神奈川にある「楽園」というパチンコ屋のクセを見破り、一年近くの間、それぞれ毎月50万円くらいの利益を得ていた。

順調に勝ててはいたんだけど、お店の手のひらの上に乗っているわけだし、利益的にもこのあたりがパチ屋で勝てる限界だろうと薄々感じていた。

俺の周りを見渡せば、パチンコ店で非合法なことをして数千万円稼いだグループや、闇金で数千万円を稼ぎ出していた悪いやつらもいたけど、俺たちはいままで違法なことはせずに、堂々と楽しんでやってきていたから、今さらになって悪いことはしたくなかった。

かといって、俺はろくに勉強をしていないCランだかFランだかわからないような大学の学生が新卒でできる仕事なんて、たかが知れていると決めつけていたから、はなから就職活動なんてせずに、貯めたお金で移動式のカフェかバーでも始めようかと漠然と考えていた(実際問題として資金が足りなかったけど)。

 

そんなある日、相方が動いた。

 

パチスロで貯めたお金をはたいて、資格試験の予備校の入学を決めてきのだ。

俺になんの相談もなく突然に。

 

誰に相談したとしても俺の決意は変わらない。

 

そこまでひとりで考え抜いたうえでの行動だったと思う。

いま思い返してみても、あいつのあの判断と行動はメチャクチャカッコ良かった。
「自分は将来経営者になる。だからこの資格と受験科目は無駄にならない。しかも合格したら年収500万円からのスタートだから、いまの生活を簡単に超えられる。」

そういった彼の言葉に、俺は強い衝撃を受けた。

 

素直に「置いていかれたくない!」と思って、俺も翌月に資格試験の予備校の門を叩いた。

ふたりで同じ資格をとっても相乗効果が少ないと判断して、別々の資格を取ることにした。いずれもその業界では最難関資格だ。

俺は、自腹で用意できる学費と生活費は1年分だったから、死ぬ気の1年コース、村上は2年コース。人生で1度、本気で勉強しようと決心した。

勉強をゼロから始める必要があったことから、全集中するために二人は別々に勉強した。

例えば会計の入門講義を理解するためには最低限簿記3級レベルの知識が必要だったことから、俺は慌てて簿記3級の勉強をしたりした。

村上とたまに会うのは、テキストを読んでも理解できないところを嚙み砕いて教えてもらうときだけだった。

俺は合格するまで必ず続ける覚悟だったから、「自分の合格率は100%、どうせ合格するなら少しでも早い方が楽だ」という考えで、1年間で合格することを目標にした。

 

試験科目のテキストを目でみて、講義を耳で聞き、覚えたことをブツブツと口から出し、さらに手で書いて、あらゆる方法で記憶を定着させ、理解を深めようとした。

脳みそから汗がでるほど覚えては思い出し、限られた時間のなかで何度も問題集を繰り返し解いた。

それは寝ているとき以外、すべての時間を勉強に充てていたといってもいいくらいで、もしかしたら寝ている間も脳みそは記憶を定着させるために働いていたのかもしれない。

毎日髪の毛がたくさん抜けた。そのくらい勉強した。

 

1年間本気で勉強してもやっと合否のボーダーラインに乗れるかどうか ということは肌感覚でわかっていたから、あとは「試験当日に1点をもぎ取るかどうかが勝敗を分ける」と理解していた。

点数がお金で買えるのなら多少無理してでも買おうと思った。

教えるのが上手な先生が東京都文京区のお茶の水校にいると聞いてからは、横浜からお茶の水校に通った。

試験直前期の2ヶ月間ほどは、お茶の水の雑居ビルの狭い貸自習室を借りて、週末はそこの床で寝泊まりして通学時間を削った。

3日間にわたって行われる試験日には、会場の近くの安いビジネスホテルに泊まって心身を整える時間を確保した。これで1点。

試験前には高い栄養ドリンクを飲んで少しでも覚醒するようにした。これで1点。

 

このようにギリギリの1点を掴みにいったことが功を奏し、俺はかろうじて合格した。

村上は、もともと2年の計画だったからさらにもう一年頑張って勉強を続けた。

結果は不合格。

その次の年も不合格だった。

 

勉強したことは無駄にならないんだから一旦就職するか、別の資格を取ってしまえと勧めたけど、村上はこころが弱かったから、周囲には勉強を続けると言いながら、実際は大好きだった麻雀に走ってしまった。

たまに顔をみせたときに、デカピン(テンピンの10倍)とかデカリャンピン(テンピンの20倍)とか言っていたから、一晩で数十万円も動く賭け麻雀をやることがあったようだった。

そういったときの対戦相手は、その道のプロだったんだと思う。

村上が街の雀荘スタッフくらいには勝てることは知っていたけど、プロには到底勝てないだろうことは、仲間内の誰もがわかっていた。案の定、村上はカモにされていた。

当時のあいつは、既に考えることをやめてしまっていたのかもしれない。

 

ある雨の日、俺が借りているワンルームの前にずぶ濡れになってうずくまる村上がいた。

近所のラーメン屋につれていくと、一杯のラーメンを食べながら泣いていた。

その時、くやしかったのか、メンタルがやられたのか、演技だったのかはわからない。

少なくとも実家には帰れない状況のようだった。

あの頃は行くあてのない村上を何週間も部屋に泊めて飯を食べさせていたし、数回に分けて総額100万円くらい貸したと思う。

まだ20代だったし受験後で金が無かったから、俺は400ccのアメリカンバイクを売ってお金を貸した。ボーナスを見込んでギリギリまで貸した。

いずれも麻雀の軍資金としてだ。

俺は「レートは低くても自分より下手な相手とやった方がいい」と言ってたんだけど、それを聞かずにあいつは高レート麻雀に行っていたんだと思う。

さすがに居候2ヶ月目ともなったとき、俺はあいつに「そろそろ別のところへ行ってくれ」と言った。

 

村上が部屋からいなくなった日、俺が仕事から帰ると、テーブルの上には新品のワンピースが全巻置いてあった。

 

あとから知ったけど、村上は自分の親の金も500万円以上使い込んでいたらしい。

いまとなっては本当に麻雀をしていたのか、詐欺に嵌められていたのかもわからない。

なぜなら、あいつのその後の消息を友達も親も誰も知らないからだ。

 

多額の借金が、あいつから思考力を奪ってしまった。

ありえないことを言っても意味がないけど、もしあの当時、フードデリバリーの仕事が今ほど盛り上がっていたのなら、一か月50万円から60万円稼ぐことはそれほど難しくなかったはずで、村上がギャンブルに人生を狂わされることもなかったかもしれない。

 

早死にしてしまった他の親友の葬式にも来なかったから、村上はもう死んでいるのかもしれないな。

あのとき、あいつのためにもお金なんて貸さなきゃ良かったと、今は思う。
むしろ殴っとけばよかった。

もしそうしてたら、今頃はお互いの家族みんなでキャンプでもしてたはずだから。